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広島地方裁判所 昭和50年(ワ)451号 判決 1991年12月19日

原告 西岡俊行 ほか一〇五名

被告 国 ほか二名

代理人 河原和郎 大西嘉彦 長安正司 安友源六 ほか五名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一請求の趣旨

一  被告らは各自、別紙1原告目録記載の各原告らに対し、別紙2請求金額一覧表のうち、各該当する請求金額欄記載の各金員及びこれに対する昭和四七年七月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

第二請求の趣旨に対する答弁

(被告ら全員)

主文同旨

(被告国)

担保を条件とする仮執行逸脱宣言

(当事者の主張)

以下の事実及び理由の記載において、次のとおり略称、略号を用いることとする。

1  各種単位の表示については、左の記号による。

ミリメートル…mm

センチメートル…cm

メートル…m

キロメートル…km

平方キロメートル…km2

立方メートル…m3

毎秒○○立方メートル…m3/S

パーセント…%

2  時刻の表示は、特に午前、午後と記載しない限り二四時制により表示する。

第一請求原因(編注・本項以下の事実部分については登載を省略した。)

理由

第一当事者

<証拠略>によれば、請求原因一の1の事実が認められ、同2ないし4の各事実は当事者間に争いがない。

第二立岩ダムの概況及び本件洪水の発生

一  請求原因二の1の事実(立岩ダムの概況)は当事者間に争いがない。

二  同二の2の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠略>を総合すると、次のとおり認められる。

1  昭和四七年七月は半ば頃まで梅雨前線の活動が活発で、全国的に見ると、二日九州で降り始め、五日朝を中心として高知県で八〇〇mmを越す集中豪雨が降り、五日、六日に宮崎県、熊本県で集中豪雨が生じ、七日から九日にかけて大雨域は東北地方に移り、一〇日から一二日にかけて大雨域は北九州から中国地方に移り、一二日から雨域は南下し始めたが、一三日には愛知県で豪雨が発生し、これにより全国各地に大きな災害をもたらした。右大雨は、後日、気象庁により「昭和四七年七月豪雨」と命名された。

2  日本海をゆっくり南下した梅雨前線は、九日から西日本付近に停滞していたが、前線上を低気圧が次々と東進し、特に沖縄はるか南東洋上と南支那海北部に台風七、八号があり、それらによってもたらされた暖湿な空気が南西気流の湿舌として中国地方に入り込み、日本海上層の寒気と相まって不安定度が増大し、北九州から中国地方にかけて雷雨を伴った断続的な大雨が降った。

九日九時から一三日九時までの総雨量は、県北東部で五〇〇mm以上に達し、上下東、向原、冠山を結ぶ以北で四〇〇mm以上、沿岸部で二〇〇mmを超え、各地とも記録的な大雨であった。この大雨により、広島県全域にわたり、河川の氾濫、山崩れ、崖崩れ等が起き、県下の被害は、人的被害として、死者三〇人、負傷者五一人、行方不明者九人、住宅被害として全壊一二七棟、同半壊二八八棟、流出八五棟、一部破損四〇三棟、床上浸水八七三八棟、床下浸水八四一三棟等であって(ただし、一三日一三時現在広島県警察本部調べによる。)、未曽有の大水害となり、一一日一〇時四〇分に広島県災害対策本部が設置され、災害救助法適用市町村は、一三日までに二五市町村に上った。

三  右認定の事実に<証拠略>を総合すると、原告らが居住し、又は資産を有していた、立岩ダム下流域から可部町所在の太田川橋までの太田川流域において、一一日二〇時頃から翌一二日四時頃にかけて太田川を流下した洪水が堤防、護岸等を溢水したため冠水し、被害を被ったことが認められる。

第三被告中電の責任

一  立岩ダムの設置保存の瑕疵について

1  請求原因三の1の(一)のうち、立岩ダムが利水ダムであり、法二六条の工作物に該当することは、当事者間に争いがない。民法七一七条の土地工作物の「設置又は保存の瑕疵」とは、工作物の設計、建築又はその維持、管理に不完全あるいは不十分な点があり、工作物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、当該工作物の通常有すべき安全性については、当該工作物の構造、用法、場所的環境、利用状況等諸般の事情を総合考慮して、具体的、個別的に判断すべきものと解される。

2  この点に関し、原告らは、立岩ダムは、洪水調節機能を具備していなければならず、被告中電は、洪水調節義務を負っている旨主張するので、まずこの点について検討する。

一般的に、洪水調節とは、洪水による被害を防止するため、自然に発生した洪水による流水の全部又は一部を貯水池に貯留する放流操作を行い、これにより洪水の発生を全面的に抑止し又はピーク流量や全体的な洪水の規模を減衰させることをいい、法三条二項の「河川の流水によって生ずる公害を除却し、若しくは軽減させる」というのは、右の洪水調節を指すものと解される。

ところで、河川管理の目的、内容については、治水面と利水面の両面があるところ、法一条は、河川管理の内容について、<1>洪水、高潮等による災害の発生の防止、<2>河川の適正な利用、<3>流水の正常な機能の維持を挙げ、これらが実現されるよう河川が総合的に管理されることにより、国土の保全と開発に寄与し、もって公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする旨定めているが、右<1>、<3>が治水面を、<2>が利水面を指すことは明らかである。そして、法二条では、河川が公共用物であって、その保全、利用その他の管理は、一条の目的が達成されるように適正に行われなければならない旨定められている。このように、法は、治水、利水の両目的が最大限に達成されるように河川が適正かつ総合的に管理されることによって公共の安全を保持し、公共の福祉を増進することを究極の目的としている。このことから、法は、河川を管理するに当たっては、災害を防止又は軽減するための対策のみならず、発電、かんがい、上水道、舟運等の河川の利用の調整を行い、河川が適正に利用されるよう秩序を維持することを要求していることが明らかである。

そして、法は、前記<1>、<3>の治水面は、河川管理者が自ら行うものとし、前記<2>の利水面は、河川を利用しようとする者の申請を受けて河川管理者が許可すること等によって河川を適正に利用させることにより行うこととしている。さらに、法は、このような河川管理者のなすべき治水事業と一般私人の行う利水事業との区別を前提として、治水対策を行うため河川管理者が河川工事として設置する「河川管理施設」(三条二項)と河川利用者が河川管理者の許可を受けて設置する工作物(二六条)である河川利用のための「河川利用施設」とを明確に区別して規定し、異なる法的規制を加えている。このことは、河川管理施設に関する法三条二項ただし書や兼用工作物に関する法一七条の規定からも明らかである。

右のとおり河川管理施設と河川利用施設とは、明確に区分されており、一般に、河川管理者が河川管理施設として堤防等と同様洪水調節のため設置するダムが治水ダムであり、これに対し、流水を貯留してかんがい、上水道、発電等一定の利水目的に供するために法二六条の許可を受けて設置された工作物としてのダムが利水ダムと呼ばれるものである。

そして、法は、四四条ないし五一条にダムに関する特則を設け、ダム設置者がとるべき措置について規定し、利水ダムに関する規制を定めているが、これは、ダムの設置が河川の利用形態の中でも大規模なものであり、その操作方法によっては、河川の状態に変化を与え、河川の従前の機能が減殺される等の影響が生ずる可能性があることにかんがみ、その適正な管理を図り、ダムに起因する災害の発生を防止することを目的とするものと解されるが、右規制のうち最も重要なものが、法四四条の河川の従前の機能の維持である。

そして、<証拠略>によると、次のとおり認められる。

(一) 利水ダムにおいては、流水を発電等の利水目的に供するため、常時貯水池に貯留することが不可欠となるが、これによって河川が従前有していた機能が減殺される現象が生じること、右現象として<1>河道貯留効果の減少、<2>洪水伝播速度の増大、<3>背水・背砂の現象がある(<3>の現象は、ダム上流において生じるものであり、ダム下流の洪水が問題となっている本件においては直接関連性がないので、説明を省略する。)。

(二) 貯水池上流端からダム地点までの間の河道において、ダムが設置される以前には、洪水が流下していく時、水面が上昇し、これに伴って洪水が一時河道内に貯留されるのと同じ効果が生じ、同時に、洪水のピークの発生時刻も洪水波がこの間の河道を伝播する速度に相当する時間だけ遅れて現れる。これが、自然河道が有する河道貯留効果及び洪水伝播速度といわれるものである。ダムが設置されると、自然河川の機能は、ダムの湛水区間において変化することとなるのであって、例えば、人為的に水位を一定に保つために貯水池への流入量に等しい流量をダムから放流する場合のように、貯水池内の水面上昇がないときには、貯水池に貯留される流水は全くないので、上流端の流水が直ぐに下流端から放流されたと同じようになり、河道貯留効果が減少したり、洪水伝播速度が増大することとなる(河道貯留効果の減少及び洪水伝播速度の増大の現象)。

以上のとおり認められる。

ダムの設置が河川に及ぼす影響が以上のようなものであることにかんがみ、法四四条は、河道にダムが設置されることによって生ずる可能性のある右の諸現象に対し、ダム設置前の河道が従前有していた機能を維持するために必要な施設を設け、又はこれに代わるべき措置をとることを義務付けているのであって、洪水時においてダムの設置又は操作に起因する人工的災害の発生をなくし、ダムが設置されていないのと同様の状態、すなわち自然の河道と同様の状態で洪水を流下させるべきことを定めたものと解すべきである。

そうだとすると、法四四条の規定は、ダム貯水池への貯留による洪水規模の縮小あるいは洪水ピーク流量の減少という内容は全く含んでおらず、洪水を増大させないという意味で消極的な洪水調節を定めているにすぎないというべきである。

原告らは、法一条、二条の規定を根拠に積極的洪水防止義務があると主張するが、河川の従前の機能維持と洪水調節とは、右のとおり全く異なるもので、右主張は、河川管理と河川利用とを明確に区別して規制している法の体系を無視し、利水ダムの適正な管理の確保を目的とする特則の規定の趣旨を没却するものであって、相当でなく、法一条、二条の規定が治水ダム、利水ダムの如何を問わず、一般的に積極的洪水防止義務を課しているものとは到底解されない。

次に、原告らは、法四四条、法施行令二四条の規定を挙げ、右規定によって確保された空虚容量分の流入量が下流に流れずにダム貯水池に貯留され、洪水時に調節機能が発揮されるとして、右規定は、利水ダム設置者に洪水調節義務を負わせたものであると主張する。

しかし、法四四条の規定の趣旨は、前説示のとおりであって、同法施行令二四条二号は、ダムの設置に伴い下流の洪水流量が著しく増加し災害が発生するおそれがある場合においては、当該ダムの設置者は、サーチャージ方式、制限水位方式又は予備放流方式のうちいずれか一以上の方法により、当該増加流量を調節することができると認められる容量を確保すべきことを規定しているが、同条は、法四四条を受けた規定であって、「当該増加流量を調節することができる容量」とは、洪水を防止し又はその規模を縮小させるための容量ではない。河川の従前の機能を維持するためには、前記河道貯留効果の減少及び洪水伝播速度の増大の現象に対し、洪水時に水位を上昇させ貯水池内に流水を貯留させながら放流操作を行い、右現象による河川の従前の機能の減殺を抑止する必要があるのであって、「当該増加流量を調節することができる容量」とは、右に必要な貯水池の空虚容量を意味していると解すべきである。

この点を予備放流方式(<証拠略>によれば立岩ダムでは、同方式が採用されていることが認められる。)についていえば、次のとおりである。すなわち、<証拠略>によれば、旧操作規程では、前記「河川の従前の機能」を維持するため、二〇分の遅らせ放流を規定していること、河川の従前の機能を維持するため、ダム上流端に流入した流水を一定時間(立岩ダムの場合、二〇分)ダム貯水池に貯留した後に放流する遅らせ放流を行うのに必要な空虚容量を、洪水開始前にあらかじめ放流して貯水池に確保しておく方法が予備放流方式であること、右必要な空虚容量を確保したときの水位を予備放流水位といい、この水位から常時満水位(ダムの保全上、原則として貯留できる最高水位)までの空虚容量が予備放流容量といわれていることが認められる。予備放流方式の場合、前記「当該増加流量を調節することができる容量」とは、この予備放流容量であって、これは、遅らせ放流を行うために必要な空虚容量であり、洪水の規模、ピークを低減するための容量ではない。

したがって、法四四条、法施行令二四条を根拠とする原告らの主張は採用できない。

さらに、原告らは、法五二条を根拠に利水ダム設置者に洪水調節義務があると主張する。しかし、法五二条は、「河川管理者は、洪水による災害が発生し、又は発生するおそれが大きいと認められる場合において、災害の発生を防止し、又は災害を軽減するため緊急の必要があると認められるときは、ダムを設置する者に対し、当該ダムの操作について、その水系に係る河川の状況を総合的に考慮して、災害の発生を防止し、又は災害を軽減するために必要な措置をとるべきことを指示することができる。」と規定しているのであって、この規定は、本来洪水調節義務を負担していない利水ダム設置者に対して、緊急時一時的に洪水調節に必要な措置をとるべき公用負担を課すことができる権限を河川管理者に付与したものであり、ダム設置者は、河川管理者から洪水調節のための個々具体的な指示があった場合に限り、その指示に従って洪水調節のための操作をすべき義務が発生するにすぎない。

したがって、同条を根拠として、利水ダム設置者に一般的に積極的な洪水調節義務を認めることはできず、この点に関する原告らの主張は採用できない。

以上のとおり、被告中電は、立岩ダムの設置、操作において、法四四条に規定された河川の従前の機能を維持する義務を負担しているのみで、積極的な洪水調節義務は課せられていないものというべきである。

3  原告らは、立岩ダムの容量が小さく、また、旧操作規程のうち放流に関する規定が不備であって、立岩ダムの設置保存に瑕疵があったため、安全なダム操作が不可能な状態であり、原告らの損害は、これに起因する旨主張する(請求原因三の1の(三)、(四)の(1)ないし(3))。

右主張のうち、被告中電に、立岩ダムの設置、操作において積極的に洪水を調節する義務があることを前提とする部分(請求原因三の1の(三)の主張のうち、積極的に洪水調節を行うに足りる容量を備えていないとの部分のほか、同(四)の(3)の主張も、利水ダムも積極的な洪水防止機能を備えているべきだとすることを前提に、洪水時には、三ダムで洪水流量を調整して放流するべきであり、そのための相互調整及び施設について規定を設けるべきであるとの主張と解される。)は、前説示のとおり、被告中電には、かかる義務がないのであるから、失当である(三ダムで操作規程に基づいてそれぞれ河川の従前の機能を維持する操作が行われるならば、これによりダムが設置されている河川はもちろん、合流後の河川においてもダムによって洪水が助長されることは起こり得ないのであって、三ダムの操作規程に相互調整及び施設に関する規定を設ける必要はないものというべきである。)。

そうすると、前説示に照らし、原告ら主張の不備、欠陥が瑕疵に当たるかどうかは、ダム自体及び旧操作規程のうち放流に関する部分が河川の従前の機能を維持するに足りるものであったかどうかという観点から安全であったか否かを検討することを要し、かつそれをもって足りるものと解するのが相当であり、仮に、瑕疵に該当する場合には、その瑕疵と損害との間の因果関係の存否、すなわち右瑕疵のために河川の従前の機能維持の義務に反する違法な放流がなされ、その結果損害が生じたのかどうかを判断することになる。しかるに、後記二の3、4で説示するとおり、立岩ダムにおいて本件洪水時、その増水過程で河川の従前の機能を維持する義務に違反する放流がなされたものとは認められず、減水部の放流も本件洪水被害の原因となったものとは認められないのであるから、原告ら主張の不備、欠陥が右の意味で瑕疵に当たるかどうか個別に検討するまでもなく、原告ら主張の右瑕疵は、本件洪水被害の発生と因果関係がないことに帰するものといわざるを得ない。

4  次に、通知等に関する規定について検討する。

法四八条は、ダム設置者に対し、ダムを操作することによって流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合において、これによって生ずる危害を防止するため必要があると認められるときには、関係都道府県知事、関係市町村長及び関係警察署長(以下「関係行政機関」という。)に通知するとともに、一般に周知させることとし、その具体的な方法について法施行令三一条及び法施行規則二六条において規定されている。これは、ダム操作により貯流水を下流の河道に放流する場合、特に放流を開始したときには、下流の水位を急激に上昇させ、そのために下流の河道内にいる河川利用者の人身に危害等を与えることがあることから、主として、ダムからの放流により生ずるおそれのある人身災害を防止するために設けられたものである。これに対し、河川沿岸の住民に対し、洪水の予告、立退き等を指示し、危険を防止する行為は、水防法に基づく水防関係者の水防活動であって、利水ダムの設置者には、そのような義務は課せられていないものというべきである。

そして、<証拠略>によれば、旧操作規程は、右法令の規定に基づいて、関係行政機関に対する通知については、一三条において通知の時期、通知の相手方及び通知の方法を、また、一般への周知については、一四条においてサイレン及び巡回による警告の時期、方法等を具体的に規定していることが認められる。さらに、<証拠略>によれば、被告中電では、右規定の運用に当たっては、通知の時点と内容について関係行政機関と事前に協議してその確認を行うとともに、関係行政機関に通知記録用紙を配布して受信が迅速的確に行われるよう配慮していたことが認められる。

原告らは、旧操作規程一三条、一四条の規定は不十分であり、旧操作規程には、周知に関し具体的規定がなかった旨主張するが、右に照らし採用できない。

次に、原告らは、法四八条の「流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合」という基準が不明確であると主張するが、右場合とは、ダム操作によって放流された流水が下流の河川の水位を急激にしかも相当に上昇させる場合を指すものであり、不明確であるとはいえない。

また、原告らは、下流の水位の上昇を通知する義務があると主張する。しかし、法施行令三一条によれば、関係行政機関に対する通知は、ダムの「操作によって放流される流水の量又はその操作によって上昇する下流の水位の見込み」を示して行うこととされている。これはダム操作によって上昇する下流の水位の見込みは、平常時に点検等のために放流する場合であれば、下流河川の水位に変動を与えるのは、ダムからの放流水のみであるため、下流河川の水位上昇の程度を示すことも不可能ではないが、洪水時においては、下流域における降雨等の影響によって河川の水位が大きく左右されるから、ダム設置者としては、ダムからの放流量のみでは、下流河川の水位がどの地点でどれほどになるかを確定することができないため、「放流される流水の量」又は「上昇する下流の水位の見込み」のいずれかを通知すれば足りることとしているものである。

したがって、河川の水位の上昇を通知しなければならないとの原告らの主張は失当である。

次に、原告らは、旧操作規程では、太田川と柴木川合流点までの区間について、サイレンによる警告を規定しているが、区間の定め方に合理性がないと主張する。

<証拠略>によれば、旧操作規程は、一四条において、法四八条の一般に周知させるための措置として、ダム地点から太田川と柴木川との合流点までの区間について、サイレンによる警告等を行うことを規定していることが認められるところ、同条の規定の趣旨に照らし、警告の区間を定める場合、ダムの放流によって影響を受ける範囲までの河川の区間を警告の区間と定めれば足りると解される。一般に、本川又は相当規模以上の支川が合流すると、両河川合流後の河道幅が広くなり、河道の疎通能力が大きくなることから、ダムの放流水が両河川合流後の河川の水位へ与える影響は少なくなるところ、<証拠略>によると、立岩ダムの下流一二kmの地点で流域規模の大きい支川柴木川が合流し、これより下流の河道幅は、合流前の河道幅より広くなっていることが認められるのであって、立岩ダムの場合、右合流点の下流では、ダムの放流水による河川水位の変動が低くなっているものと認められる。旧操作規程一四条の警告の区間は、右根拠から定められたものと認められるのであって、合理性がないものということはできない。

以上検討の法四八条の規定の趣旨等に照らすと、旧操作規程の通知等に関する規定に不備、欠陥があるものとは認められない。

5  まとめ

以上の次第であって、立岩ダムないし旧操作規程には、原告ら主張のような瑕疵はないか、又は原告ら主張の瑕疵は、本件洪水被害と因果関係がないから、立岩ダムの設置保存の瑕疵に基づく被告中電に対する原告らの損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  不法行為責任について

1  請求原因三の2の(一)のうち、被告中電が旧操作規程を定め、立岩ダムにダム主任等の従業員を配置し、ダム操作に当たらせていたことは、当事者間に争いがない。

そして、<証拠略>を総合すると、次のとおり認められる。

(一) 太田川と立岩ダムの概況

太田川は、広島県西部を貫流する中国地方有数の一級河川で、立岩ダム上流の冠山を水源とし、途中、柴木川、筒賀川、滝山川、水内川、西宗川、吉山川などを集めて流下し、さらに可部町付近で根の谷川、三篠川と合流する流域面積一六九〇km2、幹線流路長約一一〇kmの羽毛状の河川であり、中流部の幹川は、屈曲の激しい穿入蛇行流路を形成しており、河床勾配も可部町、加計町間で四五〇分の一から二〇〇分の一、加計町より上流では二〇〇分の一以上の急勾配をなしている。その流域図は、別紙5流域図のとおりである。

そして、立岩ダムが昭和一四年に完成した重力式コンクリートダムであり、その諸元が別紙3立岩ダムの諸元記載のとおりであることは前記のとおりであり、立岩ダムは、広島電気株式会社が打梨発電所の発電のために設置したもので、昭和二六年五月被告中電が承継したものである。治水ダム、利水ダムの区別に従えば、立岩ダムは、利水専用のダムであって、発電用水として最大二四m3/Sを使用している。

(二) ダム操作の原則

旧操作規程では、ダム放流操作の方法について次のとおり定められている。

(1) 予備警戒時(集水地域に大雨注意報が発せられている場合等)においては、気象情報の収集、要員の確保等洪水に対処する体制を整える(一九条)。

(2) 洪水警戒時(集水地域に暴風雨警報又は大雨警報が発せられている場合等)においては、最大流入量と流入量の時間的変化を予測し、予測した最大流入量に対し遅らせ放流に必要な空虚容量を確保するために、三四〇m3/Sの範囲内で予備放流を行う(二〇条三号イ)。

(3) 洪水時(貯水池への流入量が三四〇m3/S以上であるとき)には、次のような放流を行う。

ア 洪水開始後二〇分間は、三四〇m3/Sの放流を継続する(二一条一号イ(イ))。

イ その後流入量が最大となるまでは、二〇分前の流入量に相当する流量を放流し(同イ(ロ))、流入量が最大となった時から流入量が最大時の二〇分前の流入量に等しくなるまでの間は最大時の二〇分前の流入量に相当する流量の放流を維持する(同イ(ハ))。

ウ 流入量が最大時の二〇分前に生じた流入量に等しくなった時から流入量が三四〇m3/Sになるまでの間においては、流入量に相当する流量を放流する(同イ(ニ))。

右(2)が洪水警戒時の予備放流、(3)のア、イが洪水開始後の二〇分の遅らせ放流といわれるものであり、洪水に対するダム操作の原則である。

なお、洪水とは、ダム貯水池への流入量が三四〇m3/S以上であることをいうが(旧操作規程四条)、右洪水流量三四〇m3/Sは、ダム下流地域のうち河川の状況から最も浸水が早い地点において浸水しない限界流量(無害流量)を求め、この流量を支川等からの流量を除いてダム地点での流量に換算して求めたものである。

(三) 各種情報の収集と予測

前記のようなダム操作を行うには、ダム貯水池への流入量の予測が前提となるが、そのためには気象等に関する情報の収集が不可欠である。立岩ダムにとって重要な気象情報は、広島地方気象台の気象情報であり、(なお、被告中電では、洪水時には、気象関係の専門知識を有する従業員を広島地方気象台に派遣し、気象情報の収集に当たらせている。)、これを中央給電指令所が受信し、電力線搬送電話等の被告中電の専用電話により広島支店給電所、土居運転区を経由して立岩ダムの見張所へ連絡される体制になっていた。

降雨状況については、立岩ダムとその上流の冠山雨量観測所に雨量計が設置され、その降雨データが立岩ダムの見張所にテレタイプにより自動的に記録されるほか、立岩ダム地点の降雨データは、ダム見張所の自記電接計数器により把握されるようになっていた。

また、被告中電は、立岩ダムの上流約一〇kmの地点に駄荷水位観測所を設けているが、立岩ダムと右観測所には、自記水位計が設置され、各水位が立岩ダム見張所のテレタイプにより自動的に記録されるほか、立岩ダムの貯水位は、見張所の水位デジタル表示盤により把握されるようになっていた。

なお、立岩ダム及びその上流の冠山の雨量データ、駄荷水位観測所及び立岩ダムの水位は、テレタイプにより土居運転区においても自動的に記録されるようになっていた。

次に、ダム貯水池への予想最大流入量に対応する予備放流水位を決定するため、以上の気象情報等を基に、最大流入量を予想することになるが、その予測は、ダム主任が、過去の実績から雨量と立岩ダム貯水池への流入量の相関関係をグラフにした最大流入量推定図を用いて行っていた。そして、ダム主任は、右により予想した最大流入量を、旧操作規程末尾添付の別図第3「予備放流水位の決め方」と題するグラフに当てはめて、予想最大流入量に対する予備放流水位を決定していた。

(四) ダム操作

立岩ダムの操作は、洪水警戒時においては、各種情報の収集とこれに基づく予想最大流入量に対応する予備放流水位の決定及びその確保(貯水位が予備放流水位を上回っている場合に、放流を行って貯水位を予備放流水位にまで下げること)が、洪水時後においては、二〇分の遅らせ放流を行うことが基本となるが、右操作に必要な流入量及び放流量は、次のとおり計算される。

まず、放流量は、ダム堤頂部にある洪水吐ゲートからの放流量と発電使用水量の合計になるが、ゲート放流(越流頂上の水面の位置がゲート下端より上にあり、貯水池の水がゲートにかかる状態で流れること)の場合の放流量は、ゲートの開度と貯水位からあらかじめ計算された早見表(ティンターゲート放流量計算表)により、自由越流(越流頂上の水面の位置がゲート下端より下にあり、貯水池の水がゲートにかからない状態で流れること)の場合の放流量は、右計算表末尾添付の自由越流曲線により、また、発電使用水量は、打梨発電所からの連絡又は取水量早見表によっていずれも簡易に算出できるようになっている。

次に、流入量は、一定時間内のダム貯水池の増減流量に、右時間内に放流した量を加算して求められるが、右増減流量は、旧操作規程末尾添付の別図第1「貯水位~貯水量曲線図」に貯水位を当てはめて簡易に算出できるようになっている。

そして、ゲート操作をした場合には、操作の理由、開閉したゲートの名称、開閉を終えた時刻、その時におけるその開度、ゲートの一回の開閉を終えた時における貯水位、流入量、放流量及び使用水量等を記録することとされており(旧操作規程一五条)、ダム主任がこれらの事項(貯水位については、見張所のデジタル表示盤に表示されたもの、放流量、流入量については、前記の方法により計算したもの)について記録して立岩ダム操作記録表を作成している。

(五) ダム管理体制

ダム操作は、立岩ダム左岸にある見張所において行われるが、見張所には、ゲート制御盤、ダム水位デジタル表示盤その他の機器が設置され、ダム主任の資格を有する新開のほか二名のダム勤務員が配置されている。なお、ゲート操作をしない平常時には、ダム主任以外の二名がダムで勤務し、ダム主任は、加計電力所で勤務しているが、洪水警戒体制に入ると、立岩ダムに赴いて勤務する体制になっている。

(六) 本件洪水時におけるダム操作

(1) 七月九日から降り始めた雨は、同日夕方から次第に激しくなり、翌一〇日三時一〇分広島地方気象台が大雨注意報を発令した。立岩ダムにおいては、右大雨注意報の発令に伴い、一〇日四時三〇分に予備警戒時に入り、八時には、ダム放流操作に関する機器等の点検を完了し、放流態勢を整えた。

(2) 同日一三時四〇分に広島地方気象台が大雨洪水注意報を発令した。新開ダム主任は、加計電力所において全般の気象状況、立岩ダム上流域の降雨状況、ダムへの流入量等の状況につき逐次連絡を受けていたが、一四時一〇分頃立岩ダムに向けて出発し、一五時にはダムに到着した。この時点の貯水位は、二七・二三mで、予備放流水位の最低限度である二七・三六mを下回っていたが、一〇日一二時から一五時までの雨量が二五・五mmと集中豪雨の様相を呈してきたため、ダム放流開始に伴う必要な措置としての関係機関への通知及び河川管理者等への通報を行い、旧操作規程一〇条二号により一五時一五分から放流を開始した。

(3) 一一日七時、広島地方気象台が大雨・洪水警報(今後の雨量見込みは、平野部で五〇~七〇mm、山沿地方で一〇〇~一五〇mm、降り始めてからの総雨量は、二〇〇~三〇〇mm、所により三〇〇~四〇〇mm)を発令したことに伴い、八時に洪水警報時に入った。新開ダム主任は、右大雨洪水警報の雨量数値から、今後の雨量を最大予想値の一五〇mmと予測し、最大流入量は、設計洪水流量に匹敵する七〇〇m3/S程度に達するものと予測した。その後、流入量に相当する流量の放流を継続し、一五時に至り、上流の降雨状況等から、旧操作規程二〇条三号イに基づいて予備放流を開始し、一八時五〇分には予備放流水位の最低限度である二七・三六mを確保した。なお、この予備放流に先立ち、予備放流開始の通知、通報を行った。

(4) 二〇時から二〇時一〇分の間にダムへの流入量が三四〇m3/Sを超え、洪水時に入った。新開ダム主任は、これに伴い、旧操作規程二一条一号イにより二〇分の遅らせ放流を開始した。なお、二〇時五五分頃ダムで停電が起きたが、予備エンジンに切り替え、操作を継続したので、ダム放流には支障はなかった。

その後も、ほぼ所定の二〇分の遅らせ放流を継続し、二一時二〇分に常時満水位である二八mに達し、二二時五〇分には、貯水位が二八・六六m、ゲート開度が三・五mでゲート放流であった。新開ダム主任は、右時点で、さらに流入量の増加が予想されたので、自由越流にして放流量を増加する必要があると考えたが、自由越流になると、水深が越流頂上付近では約三〇%低くなることから、ゲート開度を三・五mから四mにすると、自由越流になるものと判断し(堤体の高さが二三・五mであるから、貯水位二八・六六mの場合、越流頂上からの水深は五・一六mであり、その水深が三〇%低くなると三・六一mとなり、開度四mの場合のゲート下端より低くなる。)、二二時五〇分にゲート開度を三・五mから四mに上げる操作を始めた。新開ダム主任は、六門全部の操作を終った後、直ちにダム勤務員の児玉と一緒に見張所から堰堤上を走って四号ゲート付近に近付き、ダム上流側からサーチライトで同ゲートを照らし、自由越流になっているのを確認した。

(5) その後、自由越流による放流を継続し、二三時二〇分頃洪水のピークを迎え、最大流入量が九三四・五m3/Sに達し、二三時三〇分から同五〇分までの間に最大放流量八三四m3/S(ゲート放流量八一〇m3/S、発電使用水量二四m3/S)を記録した。

貯水位は、一一日二〇時頃から上昇を続け、二三時五〇分に二八・九八mの最高貯水位を記録した。

流入量がピークを過ぎ減水過程に入った後も、自由越流を続けたため、流入量を上回る放流がなされ、自由越流流量が七〇〇m3/Sに減水し、貯水位が常時満水位付近に低下した一二日一時二〇分には、旧操作規程二一条一号イ(ニ)によりゲートによる流入量相当の放流を行うため、ゲート開度を五mから三・五mに下げる操作を開始し、その後も徐々にゲート開度を下げ、二時五〇分まで流入量に相当する放流を継続したところ、三時に至り、流入量が洪水量三四〇m3/Sを下回った。

(6) なお、新開ダム主任は、以上の経過につき所定の事項(貯水位については、ダム見張所にデジタルで表示されたもの、放流量、発電使用水量及び流入量については、前記の方法で計算したもの。なお、<証拠略>によると、前記ティンターゲート放流量計算表末尾添付の自由越流曲線には、貯水位が二八mを超えた場合の自由越流量を示す曲線が記載されていなかったので、新開ダム主任は、本件洪水時に二八m以上については、直線で延長して補い、放流量を求めたこと、右のように直線で延長して読み取った流量は、計算によって求めたものとほとんど差がないことが認められる。)をその都度記録して本件操作記録表(<証拠略>)を作成した。

2  本件操作記録表(<証拠略>)及び<証拠略>によれば、本件洪水時の立岩ダムの放流の経過は、右1の(六)のとおり認められる。

これに対し、原告らは、種々の理由を挙げて、本件操作記録表は信用することができず、本件洪水は、立岩ダムで一一日二一時前後頃ダムの誤操作によりゲートを一気に引き上げてダム直下流から二〇〇〇m3/S前後の流量を流下させたために発生した旨主張するので、以下検討する。

(一) 立岩ダムとその近傍各流域における降雨及び洪水災害の状況

原告らは、洪水被害が立岩ダム下流の太田川流域で顕著である反面、ダム上流域等においては、顕著な被害が生じていないとして、ダム下流の洪水は、降雨の影響によるものではないと主張する。

<証拠略>によれば、七月九日頃から降っていた雨は、立岩ダム地点では、一一日一八時頃までは、時間雨量が一〇mmを超えることも少なく、平均すれば五mmに達しないものであったが、一八時頃から降雨量が次第に増し、二一時頃にピークとなったこと、このような降雨の傾向は、立岩ダムの集水区域内にある吉和村、ダム南東を流れダム下流筒賀村松原で太田川に合流する筒賀川流域においても同様であったこと、筒賀では、二〇時から二一時までの間に六九・五mmの時間雨量が観測されているが、これは、本件洪水時の最高の時間雨量であること、ところが、洪水被害は、立岩ダム下流の太田川流域で甚大であるのに対し、ダム上流の吉和村や筒賀川流域の被害は、下流ほど甚大でなかったことが認められる。

しかし、<証拠略>によれば、立岩ダム上流の吉和村や筒賀川流域にも相当の洪水災害が発生していることが認められるばかりでなく、<証拠略>によれば、洪水による災害の程度は、流域や河道の状況のほか、居住状況等の社会経済的環境によって大きく左右されることが認められる。したがって、同じ降水であれば、洪水被害がどの流域でも同じように生じるとはいえないのであって、立岩ダム下流域と上流域等の洪水被害が異なるからといって、下流域の洪水が降雨によるものではないということはできない。

(二) 立岩ダム下流域の洪水及び降雨の状況

原告らは、立岩ダム下流各地点の洪水開始、洪水ピーク、減水開始の各時間は、請求原因三の2の(二)の(2)記載のとおりであり、本件洪水の特徴は、降雨のピークとほとんど時を同じくする、流域住民がかつて経験したことがないような自然の摂理に反した、異常な急増水と急減水であると主張し、<証拠略>中には、右主張に沿う記載や供述がある。

一方、<証拠略>によれば、立岩ダム地点では、九日一七時頃から雨が降り始め、一一日には、〇時頃に時間雨量一八mmを記録したほかは、時間雨量は一〇mm未満であったが、一八時頃から降雨量が次第に増加し、一八時から二四時までの間平均時間雨量二七・七mmの集中豪雨があり、降水のピークは、二〇時から二一時までで、時間雨量四〇mmが記録されたことが認められる。

しかし、洪水の開始時間、ピーク時間等に関する前記各証拠は、原告ら被災住民の記憶に基づく記述ないし供述であるところ、<証拠略>によれば、本件洪水が予想を超える大規模なもので、被災住民は、避難に追われる状況であり、しかも夜間で降雨中であったことが認められる。このような状況下での被災住民の記憶が果たしてどの程度正確なものであるか疑問であるといわざるを得ない。

また、鑑定人岩佐義朗の鑑定の結果(以下「岩佐鑑定」という。)及び<証拠略>によれば、降雨の流出は、必ずしも降雨に対応するものではなく、流域の地形、地質、地被、土地利用などの流域の要素と降雨の地域的、時間的分布の影響を受け、降雨のピークと洪水による被害発生時間や洪水のピークが当然に関連するものではなく、既に相当量の降雨が連続してあったような場合には、比較的小量の降雨によって洪水が発生することが十分あり得るのであって、降雨のピークが来た以後でなければ洪水が始まらないということはないこと、また、洪水の増減水は、河川の流域状況や降雨パターンによって大きく左右されるものであることが認められる。

しかるに、<証拠略>によれば、九日夕方から雨が降り続いていたが、一一日一九時頃から平均時間雨量二〇mm以上の集中豪雨が始まり、一八時頃から下流各支川の各流域において一〇mm程度の大雨が降り始めていることが認められるから、立岩ダム地点の平均時間雨量のピーク時の降水が下流に到達するより前に洪水が始まったり、洪水のピークが到来しても必ずしも不自然とはいえない。

また、<証拠略>によれば、雨が九日夕方から降り続き、湿り切っていた状態のところに、例えば、太田川上流の加計町では、一一日一九時から二四時までの五時間に連続して時間雨量二〇mm以上(最大三九mm。筒賀では、六九・五mm)の雨量が続き、その後、ぴたりと止んでおり、激しい集中豪雨が襲っていること、本件洪水時の降雨量及びこれに伴う流出量(洪水流量)も極めて規模が大きく、流域平均二日雨量及び最大洪水流量(玖村地点)は、過去の洪水と比較しても最大であることが認められる。これによれば、右集中豪雨により太田川上流域では最大規模の大きな洪水が発生し、急激な水位上昇と流量増加をもたらし、その後減水したことが認められる。そうだとすると、被災住民が、過去経験したことがないような急増水と急減水であったと感じたとしてもあながち不思議ではないというべきである。

以上によれば、原告ら主張のような降水状況との不整合性や洪水の異常性をもって直ちに本件洪水が人為的原因によるものであると認めることは困難である。

(三) 洪水実態と本件操作記録表

原告らは、本件操作記録表と下流の洪水の経過及び洪水ピーク流量が整合せず、特に柴木川より上流において全く整合していないと主張している。

しかし、<証拠略>によれば、本件洪水は、立岩ダムの放流のみによるものではなく、太田川全流域にわたる記録的な前記集中豪雨による下流各支川からの合成洪水によってもたらされたものであること、柴木川合流点より上流の洪水の状況については、立岩ダム流域に隣接する筒賀川流域における短時間の異常豪雨(一一日二〇時から二一時までの時間雨量六九・五mm)が影響を与えた可能性があることが認められる。したがって、下流の洪水状況との不整合を根拠として直ちに本件操作記録表の信用性に疑問があるとはいえないばかりでなく、本件操作記録表の記載に問題がなく、信用性があることは、以下に検討するとおりである。

(四) 本件操作記録表の信用性

原告らは、本件操作記録表は信用性がない旨種々主張するので、以下検討する。

(1) 貯水位及び流入量

ア 駄荷水位観測所の水位及び流量

原告らは、駄荷水位観測所の水位及び流量と立岩ダムのそれとが整合しないと主張し、原告國實明本人は、右主張に沿う供述をし、<証拠略>中にこれと同旨の記載がある。しかし、<証拠略>によれば、原告ら主張の駄荷水位観測所の水位は、同観測所の自記水位計の観測データを土居運転区でテレタイプにより自動的に記録した数値であり、流量は、右水位に基づいて同観測所における水位~流量曲線から求めたものであること、原告らの主張する不整合は、右自記水位計が一一日二三時まで正常に作動していたことを前提にするものであることが認められる。

しかしながら、<証拠略>によれば、前期水位計は、一一日午後パイプに土砂が詰まって故障し、正しい水位を示さなくなったことが認められ、証人岩佐義郎は、当日の降雨状況からして一七時頃から故障していたものと想像されると証言している。これによれば、水位計は、一七時頃から正常に作動しなくなった可能性があるものというべきである。証人新開利男は、二三時頃故障したという趣旨の証言をしているが、これは、水位の変化を見てそのように判断したというにすぎないから、右証言は、新開が故障を確認したのが二三時であるという趣旨とも解されるのであって、それ以前から故障していたことと必ずしも矛盾するものではない。

そうすると、一七時頃以降の自記水位計による水位の精度には疑問があり、これが正しいものであることを前提として、駄荷水位観測所の水位及び流量と立岩ダムのそれとの不整合をいう原告らの主張は採用できず、これを理由として本件操作記録表が信用できないということはできない。

イ 水位グラフの改ざん

本件訴訟においては、本件洪水時の立岩ダムの自記水位計が記録したグラフとして甲第二二号証、丁第一一号証の一が提出されている。そして、弁論の全趣旨から、甲第二二号証は、戸河内町議会ダム放流調査特別委員会が被告中電から提出を受け、その後、当裁判所が送付嘱託により戸河内町から送付を受けたものであることが認められ、丁第一一号証の一は、被告中電が本訴で証拠として提出したものである。右二つのグラフを比較検討すると、両グラフの波形は同一であるが、甲第二二号証には、一一日二一時と二二時との間に上から下まで通ずる一本の黒線が印されているが、丁第一一号証の一にはこのような線はないことが認められる。

原告らは、両グラフは、真実の水位グラフを書き替えて作成した疑いがあると主張する。右黒線が印された理由は、はっきりしないが、前記のとおり、立岩ダムの自記水位計による貯水位は、土居運転区にもテレタイプにより記録されているところ、<証拠略>によれば、同運転区にテレタイプにより記録された貯水位の数値と右両グラフの数値は整合していることが認められるのであって、これからして両グラフが真実の水位グラフを書き替えて作成したものとは到底認められない。

ウ 最高貯水位

原告らは、本件洪水時の立岩ダムの最高貯水位は二九・三mであり、本件操作記録表の最高貯水位二八・九八mは信用できないと主張し、原告國實明は、本人尋問において、戸河内町議会のダム放流調査特別委員会が本件災害直後の七月一八日立岩ダムの現地調査をし、その際、ダムコンクリート壁に残っていた本件洪水による泥水痕跡を写真撮影したが、その写真が<証拠略>の写真であり、同写真に示されている痕跡位置は、ダムコンクリート壁に黒色に塗られた部分とその下の部分との境であり、右境の位置が二九・三mで、したがって、本件洪水時の洪水痕跡は、二九・三mの位置にあり、これが最高貯水位である、と供述している。

しかし、<証拠略>によれば、前記委員会は、本件洪水の実態調査等を行うため、地方自治法一〇〇条の規定に基づいて戸河町議会に設置されたものであり、本件洪水直後に立岩ダムの現地調査を行うなど種々の調査活動を行い、調査報告書(<証拠略>)を作成しているが、右報告書によれば、右委員会も本件洪水時の立岩ダムの最高貯水位を二八・九八mとしていることが認められるのであって、これによれば、原告國實明の前記供述は、にわかに信用できない。

他に最高貯水位が二九・三mであることを認めるに足りる的確な証拠はない。

エ 貯水位の信用性

前記認定のとおり、本件操作記録表の貯水位は、ダム見張所内の表示盤にデジタルで表示された、立岩ダムの水位計の数値を新開ダム主任が記入したものである。ところで、右水位計は、前記のとおり、自記記録式のものであって、記録自体の正確性が十分担保されているとともに、人為的な作為の介在する余地の少ないものであり、また、右自記水位計による貯水位は、土居運転区にもテレタイプにより記録されているところ、<証拠略>によると、本件操作記録表に記載された貯水位は、右水位計により自動的に記録された貯水位自動記録紙(<証拠略>)及び土居運転区の記録(<証拠略>)と整合していることが認められる。

以上に照らし、本件操作記録表の貯水位は、十分信用することができるものというべきである。

(2) 放流量

ア 自由越流の時間帯

証人新開利男は、一一日二二時五〇分にゲート開度を三・五mから四mにした直後に自由越流になり、ゲート下端と越流水面との間に約四〇cmの間隔があった旨証言し、<証拠略>にも同旨の記載がある。

ところで、大熊鑑定及び<証拠略>によれば、本件操作記録表の水位を条件として水理工学上の方法(W・E・Sの方法)を用いて、越流頂部の自由水面位置を本件操作記録表のゲート下端との位置関係で求めると、ゲート開度を四mにした二二時五〇分直後においては、右証言及び記載のように水面位置がゲート下端より四〇cm下がるような完全な自由越流にはならず、逆に右時刻に右のような完全な自由越流状態になっていたとすると、本件操作記録表上、ゲート放流になっている一一日二一時二〇分頃から二二時三〇分頃まで及び一二日一時一〇分から四〇分頃までの時間帯において自由越流でなければならないことになり、矛盾が生じる、というのである。

しかしながら、<証拠略>によれば、W・E・Sの方法を用いて、越流頂部の自由水面位置を本件操作記録表のゲート下端との位置関係で計算した場合、ゲート開度を四mにした二二時五〇分の時点で、水面がゲートにかかっていたかどうかは、右計算の範囲では、どちらとも断定できないこと、ゲート放流から自由越流に移行する場合、又はその逆の場合、移行の過程で水面かゲートについたり離れたりする状態になること、右放流状態は、遷移領域と呼ばれているが、二二時五〇分前後は、遷移領域にあったこと、この場合には、ある時は自由越流的な流れを示し、また、ある時はゲート放流的な流れを示すため、その流量は、自由越流とゲート放流の公式のいずれで計算しても差支えないこと、一一日二二時五〇分前後における水位変化に照らすと、自由越流的な流れ方をしており、その流量は、自由越流の公式で計算してよいことが認められる。

また、<証拠略>中にも、二二時五〇分前後は、遷移領域であったとの部分がある。

右認定によれば、ゲート開度を四mにした二二時五〇分直後に、水面とゲート下端との間隔が約四〇cmあったかどうかの点はともかくとして、新開ダム主任が右時点で自由越流になったのを確認したというのは、必ずしも事実に反するものとは認められないし、その時点からの放流量を自由越流曲線により求めた本件操作記録表の放流量に信用性がないものということはできない。

イ ピーク放流量

原告らは、本件洪水時に立岩ダムから本件操作記録表の最大放流量(八一〇m3/S)よりはるかに多量の放流がなされたと主張している。

<証拠略>によれば、金丸教授及び芦田教授は、本件操作記録表の最高貯水位二八・九八mの時の自由越流量を貯水位を基に水理工学的計算によって求めているが、それによると、金丸教授は、右自由越流量を八八〇ないし九二〇m3/Sと、芦田教授は、九〇六m3/Sと推定し、これが本件洪水時の立岩ダムの最大放流量であるとしていることが認められる。また、<証拠略>によれば、大熊鑑定人は、右方法により右貯水位の時の自由越流量を求め、八八〇ないし九二九m3/Sと推定していることが認められる。そして、本件操作記録表では、右最高貯水時の放流量は、八一〇m3/Sとなっていることは前記認定のとおりであり、右各推定値との間に差があることが認められる。

しかし、右各証拠によれば、自由越流の場合の放流量を水理工学的計算によって求める場合、用いる計算公式や与える計算条件によって、かなり異なった結果が得られることが認められるのであって、放流量の真値を確定することは困難であり、右の程度の差があるからといって、本件操作記録表の信用性を全面的に否定するのは相当でないものというべきである。

ところが、<証拠略>によると、大熊鑑定人は、立岩ダムの約一〇km下流に設置された遊井堰の約一〇m上流地点(以下「遊井堰地点」という。)における本件洪水時の最大流量を計算し、その結果、右流量は、二〇〇〇m3/Sであったと推定し、一方、本件操作記録表によれば、高々一一〇〇m3/S程度(最高貯水位での前記推定放流量の最大値九二九m3/Sに残流域からの流量一六五m3/Sを加えたもの)にしかならず、本件操作記録表は、信用性がないと結論付けているので、以下検討する。

まず、<証拠略>によると、大熊鑑定人の本件洪水時の遊井堰地点における最大流量計算の手順は、次のとおりであることが認められる。

昭和四九年九月の洪水時の立岩ダムの放流量を操作記録表から求め、これに残流域からの推定流量を加えて遊井堰地点での最大流量を求める。次に、地元住民の供述により右最大流量時の水位(水深)を求め、これを基にして流水断面積図を作成し、これから潤辺長(s)と径深(R)を計算し、右推定流量と流水断面積(A)から平均流速を求め、平均流速を求める公式であるマニングの公式(V=1/nR2/3I1/2、ただしV:平均流速、n:粗度係数、R:径深、I:河床勾配)に右で求めた平均流速と径深の値を代入し、河床勾配と粗度係数の関係値(1/n I1/2)を算出し、右関係値は、本件洪水時においても同一であると仮定する。そして、地元住民の供述により本件洪水時における最大流量時の水位(水深)を求め、これを基にして流水断面積図を作成し、これから潤辺長(s)と径深(R)を計算し、マニングの公式に右で求めた径深及び河床勾配と粗度係数の関係値を代入して、平均流速を推定し、この値に本件洪水時の断面積(A)を乗じて遊井堰地点での本件洪水時の最大流量を推定する。

右手法の場合、本件洪水時と大熊鑑定人が測量した昭和五六年当時の遊井堰地点の断面積が同じであることが前提となるが、同じであることの確実な証拠はない。また、昭和四九年九月の洪水と本件洪水の時の遊井堰地点での最大流量時の水位に関する地元住民の記憶に基づく供述を前提にしているが、右供述は、道路面等を基準にしてどの位置まで水が来ていたかというものであって、機器を用いて測量した結果とか現場に残された洪水痕跡に基づくものでないだけに、その正確性については、疑問があるといわざるを得ない。

次に、<証拠略>によれば、大熊鑑定人は、遊井堰地点での最大流量が二〇〇〇m3/Sであるとした上で、立岩ダムの放流により右規模の流量に達する可能性について検討し、貯水位が三〇・五mの高水位であっても、自由越流量は、一四〇〇m3/Sであり、自由越流量と残流域流出分を加えても、遊井堰地点で二〇〇〇m3/S規模にはならないが、<1>ゲート放流状態から急激にゲートを揚げて自由越流にした直後は、定常的な自由越流状態に達するまで、その定常的な自由越流量より大きな流量の放流が可能であるとし、<2>さらに補足的に、遊井堰地点で七〇〇~八〇〇m3/Sの流量があるところに、立岩ダムから急激に一三〇〇~一四〇〇m3/Sの放流をした場合、段波となって、直前に流れていた水の上に後からの放流量が加わり、急激に水位が上昇することがあり、遊井堰地点での二〇〇〇m3/S規模の洪水は、立岩ダムの誤操作により急激な過放流があり、段波現象によって発生したものと推定していることが認められる。

しかしながら、本件操作記録表の貯水位は、立岩ダムの自記水位記録紙と整合するなど、信用に値するものであることは、前記認定のとおりであるが、<証拠略>によれば、大熊鑑定人は、右自記水位記録紙を見ておらず、検討していないことが認められるのであって、資料の検討が極めて不十分であるといわざるを得ない。そして、操作記録表の最高貯水位である二八・九八mの場合の自由越流量は、右のとおり精々九三〇m3/Sであり、大熊鑑定人がいうような一三〇〇~一四〇〇m3/Sの放流があったものとは認められない。

次に、遊井堰地点での二〇〇〇m3/S規模の洪水の可能性に関する右<1>の推論であるが、大熊鑑定によれば、急激に自由越流にした場合の流量は計算では求められず、どの程度の規模になるか判断がつかない、というのであり、また、証人大熊孝は、右推論は、勝手な想像であるとも証言している。また、右<2>の推論であるが、遊井堰地点で七〇〇~八〇〇m3/Sの流量があるときには、立岩ダムでは、六〇〇m3/S程度の放流をしているはずであり、これが急激に一三〇〇~一四〇〇m3/Sに増大した場合(このような放流があったものとは認められないことは前記認定のとおりである。)、遊井堰地点の放流量としては、一三〇〇~一四〇〇m3/Sから六〇〇m3/Sを差し引いた七〇〇~八〇〇m3/Sが加わった一四〇〇~一六〇〇m3/Sとなるはずである。ところが、大熊鑑定人は、七〇〇~八〇〇m3/Sに一三〇〇~一四〇〇m3/Sが加わり、約二〇〇〇m3/Sとなったというのであるが、<証拠略>によれば、右のようなことは、水理学的にはあり得ない間違いであることが認められる。この点につき大熊鑑定人は、右のような現象は、一般的ではないが、途中の河道の狭窄部の条件その他非常に複雑な現象の場合、はっきり述べることはできないが、絶対ないことだとは思わないと証言するに止まっている。次に、段波の発生については、<証拠略>によれば、立岩ダムのゲートの開閉速度は、毎分八〇cmであり、右速度からして大熊鑑定人がいうような規模の段波は、到底発生しないこと、右段波が発生するような放流をすれば、貯水位の低下が見られるはずであるが、そのような現象は生じていないことが認められる。

以上の検討に照らし、大熊鑑定の前記<1>、<2>の推論は、客観的に十分根拠のある立論とは認められない。一般的に一定の精度を有する科学的機器による数量的測定の結果は、人の単なる記憶に基づくものよりはるかに客観的で正確であるところ、大熊鑑定人は、立岩ダムの自記水位記録(これと本件操作記録表の水位とが整合していることは前記認定のとおりである。)の検討さえ怠り、これより精度の劣る地元住民の供述に専ら依拠して、本件操作記録表は信用できないとの結論を導いたものであって、科学的に十分な客観性を有しているものとは認め難く、採用できない。

次に、立岩ダムの本件洪水時の最大放流量について、下流における流量との整合性等との観点を考慮しながら検討してみる。

<証拠略>によると、金丸教授は、本件洪水直後、戸河内町議会のダム放流調査特別委員会の依頼を受け、本件洪水時の立岩ダムの最大放流量等について研究調査し、「太田川水系立岩ダムの流入、放流等の調査研究」(<証拠略>。以下、丁第一二号証を「金丸報告書」ともいう。)を作成して昭和四七年九月、一〇月に同委員会に報告したことが認められる。

そして、金丸報告書及び<証拠略>によれば、<1>本件洪水時における立岩ダムの最高貯水位時の放流量(自由越流量。立岩ダムからの最大放流量に相当する。)をW・E・Sの計算法等三方法の水理公式によって計算したところ、八八二・三~九二一・三m3/Sとなり、金丸教授は、立岩ダムからの本件洪水時の最大放流量(一一日二三時五〇分から一二日〇時まで)は、八八〇~九二〇m3/Sの範囲にあったものと推定していること、<2>貯水池への流入流量は、一般に放流量と貯留増加量の和として計算されるので、本件操作記録表の貯水位から放流量(右公式により計算したもの。発電使用水量を含む。)及び貯留増加量を計算して最大流入流量(一一日二三時二〇分頃)を求めると、九九八・五~一〇四一・五m3/Sとなり、一方、立岩ダム上流域の降雨量からダムへの最大流入流量を推定すると、一〇〇〇m3/S前後となり、前記計算による放流量及び貯留増加量から求めた流入流量と整合し、したがって、右<1>の計算放流量がほぼ正確であることが裏付けられること、<3>金丸教授は、立岩ダムの約五km下流にある鱒溜ダムにおける本件洪水時の最大放流量を、同ダムの洪水痕跡から求めた最高水位を基に、前記各水理公式を用いて計算したところ、約一〇〇〇m3/Sとなり、これは、立岩ダム下流の残流域からの流出量約一〇〇m3/Sを考慮すると、立岩ダムの前記最大放流量と整合しており、この点からも右放流量がほぼ正確であることが裏付けられることが認められる。

なお、<証拠略>中には、金丸教授が、鱒溜ダムの放流量計算の際採用した最高水位の位置は、最高水位を示すものではないとの供述及び記載があるが、<証拠略>に照らして採用できない。また、金丸報告書によると、金丸教授は、鱒溜ダムの放流量計算の際、ダムの波の影響を考慮に入れて最高水位を決定しているが、<証拠略>によると、鱒溜ダムの場合、風の影響等で波が発生し、洪水痕跡が平均水位より高い位置に付くことが認められるから、最高水位を決定する際、波を考慮したことは、不当とはいえない。

そして、<証拠略>によれば、戸河内町議会の前記特別委員会は、本件洪水直後に洪水ピーク時の痕跡を基に実地測量(横断、縦断)を実施し、ピーク時の最大流量を測定した結果、いずれも柴木川合流点の上流である打梨地点で一〇四七m3/S、鱒溜地点で一一一九m3/S、大古屋地点で一二〇四m3/Sであり、右各流量は、金丸報告書の立岩ダムの最大放流量と残流域からの流出量と合致するとの調査結果を発表していることが認められるのであって、右調査結果は、金丸報告書の正確性を裏付けるものとなっている。

次に、<証拠略>によれば、芦田教授は、立岩ダムのゲート操作による洪水ハイドログラフの改変が下流地点において与える影響、ダム下流の河道への合流洪水が重要な影響を持つ河川でのダム放流水の追跡に関する解析方法について研究し、「洪水時における放流水の追跡に関する研究」(<証拠略>。以下、丁第一四号証を「芦田研究書」ともいう。)を作成したこと、右研究の手順は、<1>立岩ダム、柴木川ダム及び滝本ダムについては、その操作記録表から水理公式を用いて各放流量を計算し、他の残流域からの流出量については、貯留関数法等の方法で推定し、河道における洪水流の追跡計算法であるダイナミック・ウェーブ法を用いて下流での洪水解析を行い、その計算結果と国の下流水位観測所(加計、飯室)での実測結果とを比較し、右による追跡計算法か本件洪水につき適用可能であることを検証し、<2>右<1>の結果に基づき、立岩ダムがなかったものとして、いわゆる自然河道を洪水が流下したと仮定した場合の立岩ダム地点及び下流地点の架空の洪水ハイドログラフを推定し、これと立岩ダムの操作によって改変された洪水ハイドログラフ(立岩ダムからの実績洪水ハイドログラフ)とを比較し、本件洪水における立岩ダムの影響を検討し、<3>本件洪水時における立岩ダムの放流は、前記1の(六)認定のとおり、減水部において自由越流による放流がなされ、その結果一部時間帯において流入量を超える放流となっているが、右時間帯において、旧操作規程の規定どおり流入量に相当する流量を放流したと仮定した場合の洪水ハイドログラフを立岩ダムからの実績洪水ハイドログラフと比べ、減水部における右放流が下流域の洪水に対しどのような影響があったかを検討したものであることが認められる。

そして、芦田研究書によれば、本件操作記録表の貯水位とゲート開度により水理公式を用いて放流量を計算すると、本件洪水時における立岩ダムの最大放流量(一一日二三時五〇分)は八八二m3/S、最大流入量(一一日二三時二〇分)は九九七m3/Sとなること、右計算により求めた放流実績ハイドログラフは、上流の降雨記録から貯留関数法によって求めたハイドログラフとよく整合しており、右計算による放流量がほぼ正確であることが裏付けられることが認められる。

原告らは、芦田研究書に種々問題点があると主張(請求原因三の2の(二)の(4)のイのb)するので、以下検討する。

第一に、河道断面のモデル化の点であるが、<証拠略>によれば、河道断面のモデル化は、単に計算の安定化を図るためばかりでなく、実際の流れにより合致させるためにモデル化を行ったものであること、河道断面のモデル化に当たっては、下流地点の多数の断面を平均化し(横断ピッチ二〇〇m~一kmごと)、実際の河道断面に近付けるよう配慮していること、芦田教授の用いた手法は、水理学において一般的に用いられている方法であることが認められるのであって、河道断面をモデル化して洪水の追跡計算を行った点について特に問題があるとは認められない。

第二に、計算の結果生じた流量不足を任意に配分した点であるが、<証拠略>によると、計算上、流量不足を生じた原因としては、飯室水位観測所の水位~流量曲線の精度が本件洪水のような既往最大の洪水に対しどれほどであるか不明であって、かなりの誤差も見込まれること、貯留関数法による雨量の流出計算の精度にも疑問があること、特に本件洪水時のように洪水継続時間が長くなると、流域の降雨が飽和雨量に達しない状態で地下に浸透した水が流出することが考えられるにもかかわらず、貯留関数法ではこれが考慮されていない点等が考えられること、芦田教授は、洪水追跡計算において、一応、飯室水位観測所における実測洪水流量を正しいものとみなして、流域の降雨の浸透成分の流出特性を踏まえて、右水位観測所における実測と計算との差を一二日一二時八八〇m3/Sを最高に時間的に配分し、これを流域面積に比例配分して計算流量を修正したものであること、右のように修正しても、各流域のハイドログラフに加算される流量割合は、あまり大きくないので、結果に重要な影響を与えるとは考えられないこと、さらに、芦田教授の洪水解析は、立岩ダムの実績放流の場合、立岩ダムがなかった場合等の各ケースの洪水の挙動解明を目的としているが、各計算ケースについて同じ流量が加算されているので、各ケースの差を議論する上では問題とならないことが認められる。したがって、流量不足を配分した点は、問題となるものではないというべきである。

第三に、加計及び飯室各水位観測所の水位変化及び流量変化の整合性の点であるが、<証拠略>によれば、芦田研究書において計算された流量は、立岩ダム、柴木川ダム、滝本ダムの各放流量に各支川からの流量を合成して計算したものであり、飯室水位観測所等の各時刻の水位から求めたものではないこと、したがって、比較するとすれば、計算値は、追跡計算によって求められた各地点での水位と流量を、実測値は、実測値の水位と流量を比較検討すべきものであって、単純にある時点の実測の水位変化と計算上の流量変化の整合性を論じるのは、意味がないこと、計算値の水位と流量の変化率、実測値の水位と流量の変化率は、それぞれ整合していることが認められる。したがって、水位変化と流量変化の整合性の点において芦田研究書に問題があるものとはいえない。

第四に、計算によるピーク流量及びピーク時間が本件洪水の実態と整合していない点であるが、<証拠略>によれば、加計及び飯室各水位観測所における実測及び計算のピーク流量及びピーク生起時刻を比較すると、ピーク流量では、加計地点で計算値が実測値に比べて約一〇%、飯室地点で約二%少なく、また、ピーク生起時刻では、計算結果が、加計地点で約三〇分、飯室地点で約四〇分早くなっていること、右のような計算と実績との差は、洪水計算上の避けられない誤差によって生じたものであることが認められるのであって、右程度の差があることをもって、芦田研究書の手法に問題があるものということはできない。

以上の検討に照らせば、本件操作記録表による最大放流量は、八一〇m3/Sであり、大熊鑑定(ただし、本件操作記録表の貯水位を基に水理計算したもの)、金丸報告書、芦田研究書の最大放流量は、いずれもこれを上回っており、その間に差があるが、いずれにしても、本件洪水時における立岩ダムの最大放流量は、大目に見ても九三〇m3/S程度に止まることが認められる。

(3) その他

ア 操作記録表の作成者

<証拠略>によると、本件操作記録表の数字に書体のやや異なったものがあるように窺われないわけではないが、証人新開利男は、本件操作記録表は、同人が全部記載したと証言しているのであって、右程度の書体の違いをもって直ちに新開以外の者が記載した部分があるものとは認め難いばかりでなく、そのことが直ちに本件操作記録表の記載内容の信用性に影響を及ぼすものとは認められない。

イ 上流の水位及び流量の記載

<証拠略>によると、本件操作記録表には、駄荷水位観測所の水位及び流量を記載する欄が設けられているが、右流量については、全く記載がなく、また、右水位については、一〇日一五時以降記載されていないことが認められる。右記載がなされなかった理由は、本件証拠上明らかでないが、右記載がないことから、直ちに本件操作記録表の他の記載内容が信用できないものとは認められない。

ウ 本件操作記録表と通報記録との関係

<証拠略>によると、被告中電が法四六条一項の規定に基づいて中国地方建設局長(担当機関太田川工事事務所)及び広島県知事(担当機関広島県加計土木事務所)に通報した立岩ダムの貯水位、流入量、放流量の数値と本件操作記録表の数値との間に食い違っている部分があること(特に、本件操作記録表では、一一日二二時から一二日二時までの貯水位は、二八mを超えているが、通報記録では、一律に二八mとなっている。)が認められる。本件全証拠によっても右食違いが生じた原因ははっきりしないが(<証拠略>によると、立岩ダムからの通報は、土井運転区及び広島支店給電所(中国地方建設局長の場合)又は滝山川運転区(広島県知事の場合)を経由して行われることが認められるから、右通報の過程で混乱が生じ、食違いが生じた部分があることが窺われないではないが、すべての食違いが、そのような原因によって生じたものであるかどうかは、証拠上明らかでない。)、右食違いがあることから直ちに本件操作記録表の数値が信用できないと結論付けることは困難である。

エ ゲート放流量

原告らは、一一日〇時三〇分の放流量を求めた根拠が不明であるなど、本件操作記録表の数値とティンターゲート放流量計算表から求めた数値とが食い違っていると主張する。

しかしながら、<証拠略>によると、本件操作記録表では、一一日〇時三〇分の貯水位は二七・三五m、ゲート開度は六門とも三五cmであること、ティンターゲート放流量計算表では、右貯水位とゲート開度の場合の六門の合計放流量の欄は空白になっており、記載されていないが、その場合の一門ごとの放流量は記載されていること、本件操作記録表の右時点のゲート放流量(合計)は、ティンターゲート放流量計算表から一門ごとの放流量を求め、これを合計した数値を記載したものであることが認められる。したがって、放流量の記載が根拠不明であるということはできず、他に数値の食違いを認めるに足りる証拠はない。

オ 旧操作規程に違反した記載方法

<証拠略>によると、旧操作規程では、ゲートの開閉を終えた時刻、これを終えた時の開度、貯水位、流入量、放流量及び使用水量を記載することとされていることが認められるところ、<証拠略>によると、本件操作記録表の実際の記載に当たっては、ある時刻にゲート操作を始めた場合、当該時刻の欄にその時刻の貯水位、右ゲート操作を終えた時のゲート開度、右貯水位とゲート開度から求めた各ゲートの放流量を記載し、各ゲートからの放流量の合計及び発電試用水量は、当該時刻の一段下の時刻欄に記載していること(このような記載方法を用いているのは、流入量は、一定時間内での貯水池への増減流量に右時間内での放流量を加えたものであるから、放流量の合計を一段下の欄に記載することにより、一段下の欄に記載された増減流量と放流量の合計を真横に合計すれば、容易に流入量を算出することができるからである。)、右記載方法により記載された操作記録表の数値から放流量や流入量を算出しても、何ら支障はないことが認められる。したがって、本件操作記録表の記載方法が右のようなものであるからといって信用性がないものということはできない。

カ 不可能な事項の記載

原告らは、本件操作記録表によると、一二日一時二〇分にゲート六門全部の開度を五mから三・五mに下げる操作を開始し、引き続き一時三〇分に全部の開度を更に三・二五mに下げる操作を開始した旨の記載がなされているが、ゲートの開閉速度からして一時三〇分に右のようにゲート操作を再び始めることは不可能であると主張するが、そのことから直ちに本件操作記録表の他の記載内容の信用性がないものと認めるのは困難である。

(4) まとめ

以上の検討の結果に照らせば、本件操作記録表については、金丸報告書等の計算放流量との間に前記程度の差が認められるが、これは、用いた計算式や与えた計算条件の違いによって右計算放流量よりやや低めの数値が出たものと推認され、どの数値が真値に近いかはにわかに決し難く、その他本件操作記録表の信用性を疑うに足りる事情は認め難いのであって、本件操作記録表は、十分信用性を有するものというべきである。

3  原告らは、ダム主任が一一日二〇時一〇分、二〇時三〇分にゲート開度の決定を誤り、過放流をした旨主張するところ、本件操作記録表によると、二〇時から二〇時一〇分までの流入量は三六〇・八m3/Sで、その間に洪水流量を超えたこと、ところが、二〇時一〇分から三〇分までの放流量は三四九・八m3/Sであり、二〇時三〇分から四〇分までの放流量は三七四・六m3/Sであることが認められる。旧操作規程によると、洪水開始後二〇分間は、三四〇m3/Sの放流を行うこととされていたのであるから、二〇時一〇分に洪水が開始したものとすると、二〇時一〇分から三〇分までは、三四〇m3/Sの放流を行うべきであり、操作記録表のその間の放流量三四九・八m3/Sは、これを九・八m3/S超えていることになる。また、二〇時三〇分から四〇分までの放流量については、二〇時三〇分の二〇分前である二〇時一〇分の流入量が三六〇・八m3/Sであるから、仮に、これを基準にすべきものとすると、二〇時三〇分から三六〇・八m3/Sの放流を行うべきであり、操作記録表のその間の放流量三七四・六m3/Sは、これを一三・八m3/S超えている。しかし、洪水流量を超えたのは、二〇時一〇分ではなく、それ以前である。また、二〇分前の流入量に相当する流量の放流を継続するという旧操作規程の遅らせ放流の規定は、二〇分前の流入量を考慮し、さらに流入量の増加傾向等も勘案して二〇分前の流入量に相当する流量を決定し、放流すべきことを定めたものであって、二〇分前の流入量に厳密に一致する流量を放流しなければ、直ちに右規定違反になるものとは解されない。しかるに、本件操作記録表によると、二〇時以降、流入量が増加しており、例えば、二〇時に三一六・四m3/Sであった流入量は、二〇時一〇分には三六〇・八m3/Sに、二〇時三〇分には四二四・八m3/Sに増加していることが認められるのであって、遅らせ放流を行うに当たっては、右のような流入量の増加傾向を考慮して放流量を決定すべきものであり、原告らが過放流となると指摘する二〇時一〇分から三〇分まで及び三〇分から四〇分までの各時間帯の放流量についても、右各時間帯の終了時を基準にしてその各放流量と、各二〇分前の二〇時一〇分と二〇分の各流入量(本件操作記録表には、二〇時二〇分の流入量は記載されていないが、二〇時一〇分と三〇分の流入量から三九〇m3/S程度と推認される。)とを比較すると、放流量は、流入量を超えていない。これらのことを考慮すると、右各放流をもって旧操作規程に反する放流であるとは断じ難い。

次に、本件操作記録表によると、二一時二〇分のゲート操作時頃から二〇分前の流入量を下回る放流が行われ、この状態のまま二三時二〇分の最大流入時を迎えたことが認められる。したがって、旧操作規程どおりの量の放流を行った場合と比べると、本件洪水時において立岩ダムの貯水位が上昇したことが認められる。しかし、貯水位の上昇は、それ自体が下流の洪水被害を助長するものでないことはいうまでもなく、放流量が少なかったことにより洪水規模を縮小することはあっても、拡大することはなかったものというべきである(なお、減水部において、流入量を上回る放流をした点については後述する。)。

4  原告らは、立岩ダムにおいて一一日二一時前後にゲートを一気に引き上げ、急激な増加率を伴う放流を行い、ダム直下流から二〇〇〇m3/S前後の放流水を流下させたと主張するが、本件操作記録表及び<証拠略>によれば、原告ら主張のようにゲートを一気に引き上げるような操作はなされていないこと、本件操作記録表及び芦田研究書によれば、一一日二二時までの放流量は、七〇〇m3/S未満であることが認められるのであって、二一時前後にダム直下流において二〇〇〇m3/Sもの流量を生ずるような放流をしたものとは到底認められない。

<証拠略>中には、沖廣亀一がダム勤務員の児玉から「無線機の雑音のため連絡がとれないし、どんどん増えて溜まるので、恐ろしいので自分らで水を抜いた。」という趣旨のことを聞き、沖田作夫が某ダム勤務員から「無線が混線して電力所への連絡がつかず、恐ろしいのでやむなく抜いた。」と聞き、川本勝美が右児玉から「二八mしか貯められないところを三〇m貯めて頑張った。」という趣旨のことを聞いたとの記載があり、証人沖廣亀一は、児玉から前記のようなことを聞いたと証言している。しかし、右は、いずれも伝聞であるばかりでなく、右記載や証言からゲートを一気に引き上げ急激な放流をしたことを認めるに足りない。

以上のように、原告ら主張のような放流がなされた事実は認められないのみならず、芦田研究書によれば、立岩ダムの実績ハイドログラフと立岩ダムがなかったものと仮定した自然流下ハイドログラフとの比較から、立岩ダムが存在しなかったならば、本件洪水時に下流各地点のピーク流量を一〇〇m3/S程度増大させ、災害をさらに大きなものにした可能性があり、立岩ダムは、わずかながらもダムの流量調節により洪水規模を減少させる働きをしたことが認められる。そして、立岩ダムが本件洪水時、洪水規模を減少させる方向に働いた点については、証人金丸昭治、同岩佐義朗も同旨の証言をしている。

なお、前記のとおり、旧操作規程では、流入量が最大となった時から流入量が最大時の二〇分前の流入量に等しくなるまでの間は最大時の二〇分前の流入量に相当する流量の放流を維持し、流入量が最大時の二〇分前に生じた流入量に等しくなった時から流入量が三四〇m3/Sになるまでの間においては、流入量に相当する流量を放流することとされていたが、前記認定のとおり、本件洪水時においては、減水時に流入量を超える放流がなされていることが認められる。しかし、芦田研究書によれば、立岩ダムの実績ハイドログラフと立岩ダムの放流のうち減水部の流出をゲート操作によって流入量相当の放流を行ったと仮定した場合のハイドログラフとの比較から、後者の場合の流量差が現われるのは、下流のいずれの地点においても洪水のピーク時刻からかなりの時間を経過した後であり、その時点における洪水流量は、ピーク流量を大幅に下回っているので、減水部において流入量相当の放流を行わなかったことも、少なくとも災害を助長する方向で影響することはなかったことが認められる。

以上の検討の結果に照らせば、立岩ダムにおいて、本件洪水時の増水過程で、旧操作規程に反する放流操作がなされたものとは断じ難く(放流不足の点については、洪水被害の原因となったものとは認められない。)河川の従前の機能を維持する義務に違反する違法な放流がなされたことを認めるに足りず、また、減水部における流入量を超える放流も洪水被害の原因となったものとは認められない。

5  次に、通知、周知及び通報に関する不法行為について判断する。

旧操作規程のうち通知及び一般への周知に関する規定に不備、欠陥がないことは、前記認定のとおりである。

そして、<証拠略>によると、被告中電は、旧操作規程に則り通報、通知を行ったが、被告中電が中国地方建設局長(担当機関太田川工事事務所)及び広島県知事(担当機関広島県加計土木事務所)に対し行った通報の内容は、別紙7の1通報内容一覧表記載のとおりであり、右のように各事象ごとに通報するほか、毎正時通報も行われていること、土居運転区と滝山川運転区との間の電話線が故障したため、右通報のうち洪水開始時の通報は、太田川工事事務所に届いていないこと、被告中電が広島県知事(担当機関右同)、関係市町村長及び警察署長(戸河内町、加計町、筒賀村、加計警察署)に対し行った通知の内容は、別紙7の2通知内容一覧表記載のとおりであること、右のとおり電話線が故障したため、右通知のうち洪水開始時の通知は、戸河内町を除くその余の通知先には届いていないことが認められる。

右認定のとおり、通報、通知において欠落する時間帯があることが認められるが、これは、電話の故障により立岩ダムからの通報、通知が通知先に到達しなかったものであるから、この点につき被告中電に不法行為があったものということはできない。

また、通報された数値と本件操作記録表の数値との間に食違いがあることは前記認定のとおりである。そこで、<証拠略>により一一日一四時から二四時までの毎正時の本件操作記録表の数値と通報された数値との差を調べてみると、貯水位につき最高九八cm低い数値(二四時)が、また流入量につき最高一六九m3/S少ない数値(二一時)が通報されているが、下流にとって量も重要な情報と考えられるゲート放流量については、二一時に五〇m3/S多い数値が通報されたほかは、両者の数値は整合していることが認められる。

通報に右認定の程度の相違のあったことが、原告らが主張するように原告らが洪水を予見し、被害を回避する機会を失わせたものとは認め難く、これと原告らの本件洪水被害の発生あるいは増大との間には、因果関係は認められないものといわざるを得ない。

次に、一般への周知については、前記認定のとおり、サイレンと巡回による警告が行われることになっているところ、右サイレン吹鳴や巡回警告が実施されたことを認めるに足りる証拠はないが、周知がダムからの放流により下流の河道にいる河川利用者に生ずるおそれのある人身災害を防止することを目的としたものであることは前説示のとおりであり、<証拠略>によると、右警告は、放流開始の一〇ないし三〇分前に行うこととされていたことが認められるから、本件洪水時においては、一〇日一五時一五分の放流開始に先立って行われるものであることが認められる。そうだとすると、仮に、右警告が実施されなかったものとしても、そのことが、原告らの本件洪水被害を発生あるいは増大させたという因果関係は認められないものというべきである。

なお、原告らは、ゲート操作の度に通知、周知を行うべきであると主張するが、通知、周知の時期等に関する旧操作規程に不備、欠陥がなかったことは前記認定、判断のとおりであり、それ以上にゲート操作の都度通知、周知を行うべき義務はないものというべきであるから、右主張は採用しない。

6  以上の説示に照らせば、立岩ダムの放流操作並びに通知、周知及び通報に関する不法行為に基づく損害賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

第四被告国の責任

一  国家賠償法一条一項による責任

1  旧操作規程を承認、放置した不法行為について

前記第三の一で説示したとおり、旧操作規程には、原告ら主張のような瑕疵はないか、又は原告ら主張の瑕疵は、本件洪水被害と因果関係がないのであって、旧操作規程を承認、放置した過失に基づく被告国に対する損害賠償請求も、被告中電の場合と同様、理由がないものというべきである。

2  法五二条の指示義務違反の主張について

原告らは、工事事務所長は、一一日二〇時には急激な洪水の発生とその規模を十分予想することができたのであるから、被告中電及び立岩ダムの管理主任技術者に対し、ダムの全洪水吐ゲートを全開させ、流入量が最大になって貯水位が予備放流水位に低下するまで放流を継続するよう指示すべきであったと主張している。

しかし、<証拠略>によれば、被告中電からの通報では、右時刻における流入量は、立岩ダムの洪水流量に達し、さらに増加中であり、また、ダムからの放流は、ゲート操作により行われていたことが認められる。したがって、仮に原告ら主張のようにこの時点で全てのゲートを全開させたとすると、流入量より放流量が大きくなる過放流となり、かえってダム下流域の災害を助長する結果となるのであって、工事事務所長にこのような指示をすべき義務があるものとは認められない。

よって、右のような指示義務があることを前提とする原告らの損害賠償請求は理由がない。

二  国家賠償法二条一項による責任

原告らは、被告国は、本件災害当時、未だ太田川水系の工事実施基本計画を策定せず、無計画同然の状態で河川管理を行っていたと主張している。

しかし、<証拠略>によれば、被告国は、本件洪水当時、既に太田川水系の工事実施計画を策定し、右計画に基づいて改修工事等の河川管理を行っていたことが認められるのであって、無計画同然の状態で河川管理を行っていたものとは認められない。

次に、原告らは、被告国が洪水調節機能のない立岩ダムの設置を許可した上、不備、欠陥のある旧操作規程によるダムの管理、操作を黙認していたのは、太田川の管理の瑕疵であると主張する。

しかし、前記第三の一で説示したとおり、立岩ダム及び旧操作規程には、原告ら主張のような瑕疵はないか、又は原告ら主張の瑕疵は、本件洪水被害と因果関係がないから、立岩ダム及び旧操作規程の不備、欠陥を内容とする太田川の管理の瑕疵に基づく被告国に対する損害賠償請求は、理由がないものというべきである。

第五被告県の責任

一  国家賠償法一条一項による責任

1  法三六条一項の具申義務違反について

立岩ダムは、前記のとおり昭和一四年に完成したダムであって、旧河川法に基づいて設置許可されたものであるところ、旧河川法には、現行河川法三六条一項の県知事の意見具申を定めた規定は存在しなかったから、右意見具申義務違反の主張は、失当である。

2  法四七条二項の具申義務違反について

被告国が旧操作規程の承認につき損害賠償責任を負わないことは、前記第四の一の1説示のとおりであり、同様の理由により被告県も旧操作規程の承認に際し意見具申しなかったことにつき損害賠償責任を負わないものというべきである。

3  法五二条の指示義務違反について

広島県知事が昭和四七年当時、法九条二項により太田川の原告ら主張の区間について建設大臣の委任を受けてその管理を行っていたことは、前記のとおりであるが、法五二条の権限は、法施行令二条六号により委任の対象外であり、広島県知事は、右権限を有していなかったから、右権限を有することを前提とする原告らの主張は失当である。

二  国家賠償法三条一項による責任

本件洪水被害につき、被告国が同法一条一項及び二条一項による損害賠償責任を負わないことは前記第四で説示したとおりであるから、被告県が費用負担者として賠償責任を負うことはない。

第六結論

以上説示のとおり、原告らの被告らに対する各請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用し、注文のとおり判決する。

(裁判官 高升五十雄 青柳勤 蓮井俊治)

別紙1 原告目録<略>

別紙2 請求金額一覧表<略>

別紙3 立岩ダムの諸元<略>

別紙4 損害一覧表<略>

別紙5 流域図<略>

別紙6 おくらせ放流パターン図<略>

別紙7の1、2 通報内容一覧表<略>

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